ひらめの日常

日常のメモをつらつらと

『学力と階層』を読んだ

はじめに

出身階層や家庭環境といった、今まで教育の分野では見落とされてきた観点から、教育格差に対して切り込んでいる書籍です。2012年発刊ではあるものの、内部で紹介されている論文は2000年前後のものがほとんどです。なので、特に教育法や学習指導要領周りは大きな変化があり、そのまま鵜呑みにできる内容ではありません。ただ、学力の階層差という視点から教育格差に切り込んでいくところに興味を持ち、読んでみました。

学力と階層 (朝日文庫)

学力と階層 (朝日文庫)

感想や特に印象に残ったところをまとめます。

まとめ&感想

学力の階層差は年々広がっているという一貫した調査結果が印象的でした。その各々の調査についても、平均値を取ったりするだけではなく相関係数を取ったり重回帰分析をして影響の大きいファクターを推定していました。

後半部分の教員の実態については、以前読んだこちらの記事の方が新しいため、こちらを参照しました。

hiramekun.hatenablog.com

さらには、「自分で考える力」など比較的「新しい学力」に取り組む姿勢に関しても、家庭の階層を反映しているということでした。家庭の階層差をどのように埋めていくのか、それに関して具体的な言及はなかったので、この先の自分の中のテーマとして残りそうです。

印象に残ったところ

授業の理解度、学習意欲に示される格差

「人的資本」の内容が、獲得される知識のストックから、知識獲得のためのスキルへと変わりつつあるといってもよい。そうした学習能力を核とした人的資本を「学習資本」と呼べば、現代はまさに学習資本主義の時代である。

21世紀型の経済社会では、知識技術は移り変わりが激しく、その知識技術の移り変わりに対応できる能力が必要とされる。この能力は詰め込まれた知識以上に大切であり、さらにはその知識を活用し、足りない知識を見つけ出して補完することが必要。ここでこの能力を学習資本と呼んでいる。

家庭の社会階層と、学習活動や態度の分析結果についてもまとめられている。まず、学校外での1日あたりの学習時間は階層差が生まれている。さらに、学習の理解度に関しても、次の図のように階層差が生まれている。

さらに、階層上位の子供ほど、「総合的な学習の時間」のような自ら主体的に学ぶ授業において学習のまとめ役になる。このことから、知識技術の習得のみならず、学習資本の形成にも大きな階層差が生じている

このような階層差を解消するためには、より階層下位の子供たちに資源配分をする必要がある。つまり、フェアな社会を作るならば、早すぎる段階で学習から降りてしまう子供が、特定の社会階層に偏るのは望ましくない。よって、これまで以上に、「下に手厚い支援が必要」と筆者は主張している。

家庭的背景が学力に大きな影響を及ぼす

ここでは、子どもの生まれ育つ家庭環境によって、学力にどのような差異が見られるのかを確認するとともに、そうした差異が、時代の変化の中で拡大しているのか、それとも縮小しているのかを、調査データを用いて検証する。「学力」の階層差を確認するだけではなく、階層差の変化に焦点を当てるところに、分析の特徴がある。果たして、学力の階層差は拡大しているのかどうか。

学校によって縮小されていた学力の階層差が、学校の役割が減ったことにより、より露呈しやすくなったのではないかと仮説を立てている。

全ての階層において勉強離れが進む中、基本的な生活習慣が身についていない家庭の子供の方が勉強離れが進んでいる。階層間の生活習慣の身につき度合いと算数の正答率の差は、年々広がっていることがわかる。つまり、基本的生活習慣が身についているかの影響が拡大しているということである。

次に、塾にもいかず、家でもほとんど勉強していない生徒(No Study Kids: NSKと略記されている)の増加と、それ起因で起こる学力の低下という問題に焦点を当てる。なぜかというと、NSKに注目することで、学校の授業のみの教育効果の変化を取り出すことができると考えられるため。

結果は、89年ではNo Studyの影響は統計的に有意ではない。しかし、01年になると、統計的に有意になり、大きな値を示すようになる。学校の授業だけに頼っている中学生の場合、01年はそのことで正答率が6点低下する

そして、こうなると「どのような家庭の子供がNo Studyになるのか?」という疑問が生じる。ここには、家庭の文化的環境や父親の学歴が影響している。家庭の文化的環境がNo Studyに影響を与えており、年々No Studyの子供とそれ以外の子供の格差は広がっている。このことから、筆者は次のように主張する。

教育改革をめぐる議論において、こうした家庭的背景の影響が無視され続けてきたが、ここでの結果は、それが無視できないものであることを示している。

学習時間の階層差とその拡大

高校生の学校外での学習時間に注目し、その変化と、変化に関わる要因の分析を行う。

元々学習時間は学力の代替指標と見られてきた。この本では特に努力の指標として捉える。なぜ努力の指標として注目するかというと、「努力は社会階層とどのような関係を持つのか?」を知りたいからである。
そして、なぜ「努力」なのかというと、個人の属性よりも能力と努力からなるメリットが重視される「メリトクラシー」と呼ばれる社会においては、能力と努力のいずれもが、個人の属性から影響を受けないことが、平等さを実現するために必要とされているからだ。

結論から言うと

  • 出身階層で努力の差は拡大している。
    • 79年の結果では、ランクの高い高校に入れば、学習時間の階層差が縮小することが発生していた。
    • しかし97年の結果では、高校のランクを取り除いたとしても、母親の学歴などの階層要因が独自の効果を学習時間に影響を及ぼすことが明らかになった。
  • 受験戦争の緩和が不平等を拡大している。
    • 受験戦争では皆を受験へと向かわせようとする圧力があったが、それが緩和されてきている。
    • これにより学校の受験への後押しが弱まると、個人個人がどのような学習をするか選択する必要が出てくる。そうして、努力の階層差が拡大する。

義務教育機会の不均衡化は経済格差を生む

財政力の弱い県ほど、一人あたりの教育費がかかり、国の義務教育を通じて資源の再分配が行われている。現状は、国の財政調整によって、各地方の義務教育の質と量を担保している状況。これにより、国が平等に機会を与えているという印象がつけられている。しかしながら、異なる地域間での学力格差の是正に、この財政調整がどれだけ効果があるのかは明らかになっていない
よって、地域間の学校の状態が均一であると印象づけることで、本当は存在する地域間の環境の差異を消してしまっている。

これからは、どこで義務教育を受けたかについて無視して扱うことは疑問が投げかけられるだろうと主張している。

地方の財政力の格差の背後に、地方の経済力の差、さらには、家計の経済力の差があることを思い起こせば、地域間の義務教育機会の不均等化は、社会経済的格差の拡大と結びつく可能性も高い